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JR西日本 アーバンネットワーク 010

【JR京都線:複雑に入り組んだネットワーク】

【撮影:2009年5月5日 岸辺駅下りホーム】

この日はなかなか撮影する機会のない寝台特急日本海を撮影するために、JR京都線(東海道本線)の岸辺を訪れました。この駅の東側、千里丘側はゆるやかなカーブを描いていて、撮影スポットとしても知られているようです。

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私がここに到着したのは午前10時すぎ。すでに同じ考えの方が3人ほど待機していましたが、私が到着したあと、続々とやって来て、結局10人近くまで増えたでしょうか?
撮影しようと思っていた列車がやって来るまで15分程度。それまでに練習&チェックも兼ねて色々と撮影してみました。

まずは快速米原行き。223系2000番台は新快速だけでなく快速の運用にも就いてるんですね。

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続いて321系。今の私にはほとんど縁のない型式です。

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普通西明石行きでした。昔はスカイブルーの103系が中心でしたが…

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この列車が到着しようとする時、外側の通称「列車線」を新快速が通過していきました。

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●新快速●
JR西日本が京阪神地区の東海道・山陽本線系統で運行する快速列車の種別の一つで、京阪神圏都市間輸送の基軸を担う最速達列車である。私鉄で言うところの特別料金を徴収しない特急列車に相当する一般列車としての最上位種別である。複々線を生かした緩急接続や京阪神間外への直通運転、線路施設を生かした最高速度130km/hによる高速運転、そして転換クロスシートを配した落ち着いた車内などが利用客に支持され、並行する他私鉄にとって強い脅威になっている、いわばJR西日本の看板的存在である。

新快速という種別名称は、1970(昭和45)年の運転開始時に快速(Rapid Service)の上位種別として新たに設定されたものであるが、同様の性格の列車は、既に首都圏の中央線快速でも「特別快速(今の中央特快、青梅特快)」として運転されていた。これと同じ名称にならなかったのは、東京と同じ名称を使いたくないという当時の大阪鉄道管理局の意向であったといわれる。

1986(昭和61)年11月、分割民営化を控えて、従来国鉄本社直轄だった「外側線(列車線)」が大阪鉄道管理局に開放され、草津 - 西明石間の複々線区間で新快速はそれまでの「内側線(緩行線・電車線)」から外側線走行に変更となった。
…Wikipediaより一部抜粋
関西空港行きの関空特急はるかもやってきました。
関空へのアクセスとして運転を開始したこの列車。現在では通勤ライナー的な要素ももっていて、京都発着のみならず東は草津からやってくる便もあるようです。

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この区間、正確には「梅田貨物線」を走っていることになります。

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今度は新快速米原行きです。先ほどの快速米原行きと同じく223系2000番台ですが、走っている線路はやはり「外側線」になります。

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321系普通京都行き。
かつて、103系で運行されていた頃には行き先表示が「普通」とだけ掲出されている列車もありましたが、今の複雑な運行形態では訳がわからなくなりそうです。。。

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この駅を通過する221系快速姫路行きです。快速は外側線ではなく内側線を走行するのです。

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223系が主流となっても、まだまだ現役のようです。

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岸辺駅構内に停車する207系普通高槻行き。真っ直ぐに停車する姿を見る機会は滅多にありませんでした。

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下り方面にも207系普通列車がやって来ました。

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高槻方面からJR宝塚線に直通する新三田行きです。

私がこの付近をよく利用していた小中高校時代には、高槻から新三田まで直通する列車などありませんでした。
現在はJR東西線やおおさか東線が開業し、随分と複雑な運行系統になっているようです。湘南新宿ラインなんて比ではないでしょう。

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上り外側線に目をやると、223系の回送列車が走っていました。

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221系との併結?!


ということは、この223系は1000番台でも2000番台でもなく、221系との併結のためにディチューンされた6000番台のようです。

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乗務員室扉の所でにオレンジの帯が入っているので、外観からも一目でわかります。
このオレンジ帯は、正面の非常用貫通扉にもあしらわれています。

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by mickie