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2006/7/8(土)【東京駅丸の内駅舎】
<アーカイブ版>

東京駅丸の内口の赤レンガ駅舎はとても有名な建物です。
ほぼ左右対称に広がっていて、左右にはとんがり屋根が配されている、あの駅舎です。

ご存知の方も多いとは思いますが、現在の駅舎は太平洋戦争の被害によって創建当時の趣を残しつつ、「仮復旧」した状態なんですね。
今は両翼2階建て、左右もとんがり屋根ですが、創建当時は両翼3階建て、とんがり屋根の部分はドーム型でした。
なんでもこの仮復旧、当初は4〜5年もてばいいと考えられていたそうですが、実際には60年近くそのままでいたわけです。

この丸の内駅舎、2006年後半から大規模改修に入る予定です。耐震補強だけでなく、創建当時の姿に復元するとのこと。
そこで、本格的な工事が始まる前のこの時期、「仮復旧」状態の駅舎をカメラに納めようと思ったわけです。
まずは、CMやドラマ、報道番組などでおなじみのアングルですね。丸の内北口です。

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そして丸の内中央口付近。真正面には車寄せがあって皇室専用口になっているそうです。

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ここは丸の内口正面ということもあり、こうした形で駅名板が設置されています。

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丸の内南口付近から丸の内北口方向を見てみました。今の状態でも非常に見事ですね。もともとの造りがいかによかったのかがわかります。

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さて、駅舎内に入ってみましょう。
南口の天井。このドームも「仮復旧」状態。ジュラルミン製だそうです。とはいえ、とても仮復旧とは思えない凝った造り。やはり「中央駅」としての威厳を保たんとした当時の技術者の結晶でしょう。

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今度は丸ビルに移動しました。ここからは丸の内駅舎が一望できるんですね。
私のように駅舎を撮るために来たという人はいなかったようですが、丸ビルに来たついでに記念撮影をする人はたくさんいました。

ここから見られる丸の内駅舎(ほぼ)全景。もう少し角度を考えるべきでした…

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そして丸の内南口。この時は何気なく撮影していたのですが、将来はこの背景に写っている八重洲口の風景も様変わりするのですね。八重洲口の鉄道会館(大丸が入っているあのビル)も解体されるそうです。

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再び丸の内北口です。ちょうど中央線の201系が発車していました。赤レンガ駅舎と中央快速線のオレンジってなかなかいい組み合わせですね。

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見事な赤レンガの建築物。2003年には国の重要文化財に指定されたそうです。

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ここで一旦丸ビルを離れ、再び丸の内駅舎の前に向かってみました。薄暮の頃の赤レンガ駅舎、中央口です。

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ここは皇室専用の貴賓出入口でしょうか?

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先ほど丸ビルから見た時計を見上げてみました。こうして見てみると駅舎とは思えない重厚さがありますね。
日本鉄道網の中心、中央停車場たる東京駅の威厳が感じられます。

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駅ナカや八重洲口を散策した後、再び丸の内駅舎の前に出てみると、すでに辺りは薄暗くなっていて、駅舎備え付けの照明に灯がともっていました。
東京駅では開業当初から赤レンガ駅舎内に「東京ステーションホテル」が営業していました。
このホテルは駅舎の復原工事に伴って2006年3月31日から営業休止中。でも、完成した暁には「東京ステーションギャラリー」と共に営業を再開するようです。

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再び丸ビル5階にある展望スペースへ移動し、まだ明るい中、ライトアップが始まったばかりの駅舎を撮影してみました。

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時刻は19時をまわりました。夏至を過ぎたばかりとはいえ薄曇りだったこの日。暗くなるのは意外と早かった気がします。
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夜になると空の色はグレーではなく紺色になってきました。白熱色のライトアップが見事に赤レンガ駅舎を演出し、きれいに浮かび上がってきました。

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中央口も北口も、現在は三角屋根ですが、復原工事が終われば北口や南口はドーム屋根となるのです。
三角屋根は中央口のみ。ここは創建当初から形がさほど変わっていません。
元々3階建てだった建物を2階建てに減築(仮復旧)しているわけですが、この状態でも創建当時の凝った造りはしっかりと味わうことができます。

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丸ビルをあとにしたのは19時半すぎ。最初に向かったのは南口。

横断歩道の手前から撮影してみました。 こうしてみるとやはり圧巻です。近い将来この建物の屋根が三角屋根からドーム型になるのです。
復原に否定的な意見もありますが、個人的にはやはりドーム屋根を見たいと思いますし、復原には賛成です。

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南口付近から北口方面を眺めてみます。このアングルは日中にも撮影しました。
ステーションホテルが営業休止している今、人通りも少なくて閑散としています。復原が終わった頃には賑わいを見せていることでしょう。

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中央口だけを見てもやはり圧巻です。

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北口から南口方面を眺めてみます。こうして見てみると、北口周辺はたくさんのビルが建っていますが、南口方面は北口と比べると高層ビルが少ないように感じます。あくまでも比較の問題ですが…

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生まれて初めて東京に来たのは昭和63年12月。
新大阪午前7時20分過ぎ発の100系G編成のひかり号で東京駅に到着しました。
午前10時20分頃に到着して最初に向かったのが丸の内駅舎でした。

八重洲口を歩いたのは大阪に帰る日のこと。あえて21時発の新大阪行き最終を予約したので、人が少なくなった八重洲のコンコースを歩いたのをよく覚えています。
八重洲といえば、受験で東京に来た時、大阪に帰る時にドリーム堺号に乗車したのもここでした。
東海道新幹線で車内販売のバイトをしていた時に使った詰め所も八重洲にありました。
こうして考えると丸の内より八重洲の方がいろいろ思い出がありますね。

たしかに高速バス乗り場や商業地区が集中しているのは八重洲側。
丸の内側にもオフィス街はありますがこの日は土曜日でしたから、人通りが少ないのは当然のことかもしれません。
もっとも、そのおかげで人通りを気にすることなく、撮影することができたのですが…

東京駅の復原工事はまもなく始まるそうです。そうなるとしばらくは今の姿すら見ることはできません。
今のうちに今の丸の内駅舎をこの目や画像に納められるだけ納めておきたい、そう思うようになっています。
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