| この書庫のリスト |
| 前の記事 | | 次の記事 |
2007/5/4(金)【大震災の爪痕】

神戸鳴門淡路自動車道を淡路ICで降りて、淡路島の西岸沿いを延々南下していきました。
目指したのは「野島断層」。
野島断層は、平成7年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震の震源地そばに今でも残る国の天然記念物です。

兵庫県南部地震。
どちらかといえば阪神淡路大震災という言葉の方が一般的なのでしょうか?
戦後最大の地震被害をもたらしたこの地震の痕跡を後世に残すために、断層の一部やすぐ傍にあった民家を展示施設として一般公開しています。
イメージ 1

ここを訪れたのは2回目です。

それはまず、野島断層保存館に入ってみましょう。

イメージ 2

かつて農道が走り、その脇に側溝があります。一見するとわかりづらいですが、左半分が画像の上方向にずれ、さらに地表面より上に隆起しているんです。
イメージ 3

この画像を見ればわかりやすいでしょうか?上下左右、矢印の方向にそれぞれずれているんです。
イメージ 4

そうした隆起が、延々数キロメートルに渡って見られたそうです。現在は140メートル程度がこの保存館に残されています。
イメージ 5

断層の一部を掘り下げ、断層面が見られる場所もありました。ずれた部分がよくわかりますね。なるほど、地質が違うんですな。
イメージ 6

下の方、三角形に見える場所は「液状化現象の痕」だそうです。
イメージ 7

続いて野島断層保存館の建物を出て、今度は「メモリアルハウス」と呼ばれる建物に向かいました。
ふと、柵の方を見ると1羽の雀が。

イメージ 8

何事もなかったかのように、この地で何が起こったか知らないであろうこの雀は、昔日の大惨事と対照的に、静かに時を刻む様子を感じさせてくれました。それでも、あの日の出来事をなかったことにするのは不可能なのです。

さて、メモリアルハウスです。

イメージ 9

一見すると普通の民家です。
イメージ 10

普通の民家なのですが、じつはこのお宅の敷地内(建物内ではなく)に断層が走っています。その結果、庭や塀に断層のずれの痕跡が残りました。
イメージ 11

イメージ 12

幸いなことに、この建物は非常にしっかりした造り(鉄筋コンクリート造り)だったおかげで、断層のすぐ傍でありながら、全壊となるような大きな被害はなく、少しのゆがみで済んだんだそうです。
実際、地震の後も数年間はこの建物で生活されていたんだそうな…

メモリアルハウスの次に向かうのはガイダンスシアター。
ここではビデオ資料や当時の新聞、さらには震度7を体験できる設備などもあります。
ここで見つけたある新聞記事。

イメージ 13

そっか、この時は自社さ連立政権、村山内閣だったんですね。

当時自民党幹事長だった方はすでに元総理大臣、当時内閣総理大臣を出していた政党は名称が変わり、この頃あった国土庁や運輸省、防衛庁なども省庁再編や格上げによって組織が変わってしまいました。12年で随分変わりましたね。

兵庫県南部地震から既に12年。そろそろ記憶が風化し始めているような気がして仕方ありません。でも、この日の出来事をリセットすることはできません。
地震の揺れで倒壊した家屋。火災によって焼失した街。高架が落下した新幹線や阪神高速。あの日テレビの画面で見た光景は、今でも忘れることができません。

23歳だった当時、数日間は大きな余震が起こってもすぐに退避行動がとれるよう部屋のあかりを消さずに寝ていました。
交通網もライフラインも被害がほとんどなかった大阪・堺でですよ。

あの震災以降も、国内各地で大きな震災が起こっています。
われわれ一人一人ができること、すべきこと。普段から考えておく必要があるでしょう。


野島断層保存館の見学を終え、外に出ました。震災から12年が経過し、周囲は整備されています。
北淡 震災記念公園から港の方を見てみました。

イメージ 14

あの日以前のように、静かな海が広がっています。
公園を離れることにしました。車に乗り、出発したところでふとブレーキを踏みました。
イメージ 15

野島断層保存館の前にぽつんと建つ祠。
きっと、震災の前からこの地に建っていたんでしょうね。
そして漁港にやってきました。

イメージ 16

静かな海、静かな町の様子からは、あの時の惨状を想像することができません。
地元の方々のご苦労が偲ばれます…

| 前の記事 | | 次の記事 |
| この書庫のリスト |
©2010 mickie. All Rights Reserved.
by mickie
サイトトップ