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2007/8/14(火)【鹿児島にて】

前の夜は疲れがドッと出て、見た夢を忘れるほどぐっすり寝てしまいました。
それでもいつもの朝と同じくらいの時刻に目を覚まし、食事を摂り、少しくつろいでから宿を出発。

最初に向かったのは地域にあった小学校。今年3月で閉校したんだそうです。

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私の母だけではなく、ここに住む従姉妹達やその子どもも通っていた学校で、従姉妹の娘が最後の卒業生だったそうです。

次にお墓参り。今回の最大の目的でした。
そして、母親の実家へと…

じいちゃんばあちゃんは既に他界していて、ここには叔父の家族が住んでいます。
ここに着いてすぐ、別の所に住んでいる叔母が到着。そして、同じ敷地内に住んでいる別の叔父もやって来ました。
仏壇に手を合わせていると従姉妹とその娘がやってきました。

とっくに60を超している人たちが集まりました。
当然昔話に花が咲くのですが、強烈な鹿児島弁、やっぱりわからないんです(苦笑)
所々従姉妹に通訳(?)してもらいながら話を聞いていました。

ちょうど終戦記念日の前の日。
戦前生まれの叔父叔母は、戦時中の事を今でも刻銘に覚えていました。
「ここから湯之元やら鹿児島市内が燃えてる様子が見えて怖かった」
「そこの道路を兵隊さんが歩いてた」
「空からビラが降ってきてスパイの仕業と思った」
私たちは当然ですが、戦後生まれの私の母親も、初めて聞くことが多かったようです。


あっという間に時間が過ぎてお昼前。この後の行程もあり、ここを出発しました。

従姉妹と少し話をしました。実に10年以上ぶりです。お互い年とったなぁと思いつつも、雰囲気は幼い頃と変わっていませんでした。
なんせ従姉妹は私の1歳年下ですから…

LARGOを興味深そうに見る従姉妹に対して、
「これ(LARGO)は大阪の車。東京の車(SKYLINE)は大阪に置いてきてるねん(笑)。でも、東京から車で来るのもヘーキかもしらんね。片道休憩とりながら1日ちょっとで来られるんちゃうかな?」
「私の車(軽)だったら片道2日かかるかな?」

そんな話をしているうちに出発の準備が済みました。
「次はいつ来られるかわからんけどまた来ます」
そう言い残してここを後にしました。


湯之元を離れ、次に向かったのはJR川内(せんだい)駅。

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ここは九州新幹線の停車駅で、鹿児島本線のうち第三セクターに分離独立した肥薩オレンジ鉄道の南端にあたります。新幹線開業で随分立派な駅舎になったようですね。
仕事の都合で、妹はここから一足先に帰阪しました。九州新幹線つばめ〜鹿児島本線リレーつばめ〜山陽新幹線のぞみ(500系)と乗り継いだようです。

川内を出発し国道3号をしばらく走ると、随分立派な建物が目に入りました。

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九州新幹線の新水俣駅でした。旧鹿児島本線の水俣駅とは別に設置されたんですね(肥薩オレンジ鉄道とは接続しているようです)。

そのまま九州自動車道の八代ICに向かい、ここから高速道路を走ることになります。
九州道に入っても渋滞はほとんどなく、順調でした。

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福岡県内に入ると…

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のだめカンタービレファンの方ならわかりますね?!福岡県大川市への最寄りのようです!

鳥栖JCT付近で少し渋滞が見られたものの…

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すぐに渋滞は解消し、引き続きスムーズに走り抜けました。
ふと道路標識に目をやると、「筑後川」の案内板が。
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このまま福岡県内を走り、途中数カ所で休憩&ドライバー交代を繰り返し、順調に帰阪しました。
大阪に入る直前で渋滞が残っていたこともあり、兵庫県のたつの市付近で山陽自動車道を降り、国道2号〜第二神明〜阪神高速湾岸線を経て、実家着は午前3時すぎ。

なかなかハードなスケジュールでしたが、東京からタイプMで鹿児島に行くのも無理ではないことがわかりました。
次はホントにSKYLINEで九州乗り入れですね。

何年も逢っていなかった親戚とも逢うことができました。従姉妹はホントに昔のままだったので、少しホッとした気もします。
でも、今回一番楽しんでいたのは、まぎれもなくウチの母親だったことでしょう。
「家族4人で」鹿児島を訪れたのはなんとはじめてのことだったのですから…
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